『バガヴァット・ギーター』は真の治療をするためにある

次の会話は、尊師A.C. バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダと、社会福祉事業担当者・アショカ・チュガニ氏のあいだで交わされたものです。197718日、インドのムンバイにて。

チュガニ氏  尊師は、ここインドでひじょうに価値ある活動をしておられると思います。おそらく、あなたも私たちの成功をご存じかと思います。ボンベイ周辺の辺鄙な村には目の手術を必要としている人々がたくさんいます。私たちはそういった人たちのために活動しています。現在、5200人の患者のための収容施設を用意しています。

シュリーラ・プラブパーダ  私たちは『バガヴァッド・ギーター』の教えに従っています。『バガヴァッド・ギーター』は、目で苦しむ人々を助けよと教えているわけではありません。クリシュナもそういう哲学を説いてはおりません。それはあなたご自身の考えですね。私たちは『バガヴァッド・ギーター』が教えていることに従っています。そこが私たちとあなたたちの活動の違いです。私たちは目だけを救うのではなく、ほんとうの救いを提供しています。ある人にクリシュナ意識を提供すれば、その人はもう物質界に生まれることはありません。つまり、物質の肉体を二度と受けいれる必要がないということです。目の病気にもかからない。それが苦しみからのほんとうの救いです。

目、胃腸、歯、その他さまざまなことを心配する人たちがいます。でも、それを解決しても問題は解決しません。ほんとうの問題とは『バガヴァッド・ギーター』が言うようにjanma-måtyu-jarä-vyädhi誕生、死、老年、病気です。誕生したから目を持っている、だから目の病気にかかる。誕生、死、老年、病気。誕生を受けいれたからこそ生老病死も受けいれるはめになります。病院は一時的に救ってくれるかもしれない、しかしそれはほんとうの解決ではないんです。解決とは誕生、死、老年、病気を止めることです。この解決が得られたら、目の問題はなくなります。永久に。

たとえば病人は、頭痛、歯痛、目の痛み、胃痛など、いろいろな症状を医者に訴えて治してもらおうとします。そこで医者がそういう症状を抑えるだけの薬を出したとする――それで治ったと言えますか? もちろん違う。患者がかかっている病気そのものを治してこそさまざまな症状もなくなります。同じように物質界にいる人たちはだれでも、誕生と死を繰りかえしながら苦しんでいます。だから『バガヴァッド・ギーター』は真の治療方法を提供しています――物質界で次の誕生を受けない、という解決です。

クリシュナが『バガヴァッド・ギーター』で私たちに助言しているのは、このような一時的な苦しみに耐える、ということです。肉体が永遠でないように、病気も永遠ではありません。一時的な苦しみに耐え、ほんとうの問題を解決する――誕生と死の繰りかえしを止めるのです。しかし人々は、誕生と死が止められることを知りません。だから、一時的な問題に気を取られているのです。

『バガヴァッド・ギーター』は、死んで肉体を離れたあと、神のもとにかえっていくことを説いています。Tyaktvä dehaà punar janma(テャクトゥヴァー デーハン プナ ジャンマ)――二度と物質界に生まれない――それこそがあらゆる苦しみのほんとうの治療です。

チュガニ氏  では、飢えの問題はどうでしょう? 私たちはこの問題を解決するために活動して……

シュリーラ・プラブパーダ  飢え? 問題はありません。ヴェーダは述べています。Nityo nityänäà cetanaç cetanänäm (ニッテョー ニッテャーナーン チェータナシュ チェータナーナーン。神は、すべての生命に申しぶんなく食料を与えています。食料が得られないのはある種の祝福です。神がその人を正すためにしているのです。子供が病気になると、父親がなにも食べさせないことがあります。それは飢えではありません――父親からの祝福です。治療ですから子供は不満を言ってはいけません。いわゆる飢えの問題は、心で作りあげられた問題です。しかし私たち献愛者は勝手に作りあげることはしません。経典から知識を得ます。Tat te 'nukampäà su-samékñamäëo(タトゥ テー ヌカンパーン ス・サミークシャマーノー)――主の献愛者は食べられなくても、不平不満は言わない。神の祝福だと解釈するから。

「私はなにか悪いことをした。だから神は私にこのような試練を与えている。祝福されているのだ」。これが献愛者の見方です。経典に沿った考えです。

こういう質問をする人がいます。「なぜ神はある人には親切で、また別の人には不親切になったりするのか? 不公平ではないか」。これは愚かな考えです。神は不公平ではありません。神はあらゆる面で善なる方です――ところがだれも神を理解できない。知性が足りないから、人が飢えているのを見て、神はまちがっている、と言う。しかし、じっさいはその人がまちがっているのです。だれかが苦しんでいるのはその人の過ちの結果です。だから献愛者は、苦しみというものをクリシュナからの祝福と考えます、またそう考えるからこそ、その献愛者の解放は保証されているのです。Muktiù svayaà mukulitäïjali sevate(ムクティ スヴァヤン ムクリターンジャリ セーヴァテー)

チュガニ氏  神がこの世でしていることは私たちには理解しがたいものです。不公平に思えます。

シュリーラ・プラブパーダ  じつは、あなたご自身が神を信じていない。そしてそういった神を信じない状態がほんとうの問題です。あなたは、神が自分の召使いになってなにかを与えてくれるときにだけ神を信じます。「神よ、私を助けてくれなければ、私はあなたに仕えない」。神を自分の召使いか提供者だと考えているのです。ドイツに生まれた私の兄弟弟子が、第二次世界大戦のときのことを話してくれました。男たちが戦場に行ったあと、妻や女性は教会に行き、夫や息子が無事に帰ってこられるよう祈ったそうです。でもだれも戻ってこなかった。それで彼女たちは「教会に行ってもなんにもならない! 夫のためにあれだけ祈ったのに戻ってこなかった。結局なんの助けにもならなかった!」。これが彼女たちの神の理解だったんです。戦争になったときは神に救いを求めなかったのに、夫が戦場で死ぬかもしれないと考えたときには神に祈った。夫が戦場から無傷で帰ってこられるよう神に命じたのです。「神は夫を戻してくれなかった。私の命令を実行してくれなかった。だから神は不公平なのだ。もうそんな神に興味がない」こういう態度がいまでも続いています。罪なことをしているときには神に救いを求めない。でも苦しみだすと、神に泣きつく。そして自分の命令が実現されないと、無神論になり、「神は不公平だ!」と言う。それこそがまちがった非道な考えなんです。

                                                ―― 完 ――






なぜ「創造者はいない」と言い切れるのか?



 この会話は、尊師A.. バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダと数人の弟子が早朝散歩をしたときに交わしたものです。197664日、ロサンゼルスのヴェニスビーチにて。 

シュリーラ・プラブパーダ  見るものすべては創造されたものだ。科学者は「創造者はいない」と言うけれども、どうしてそう言えるのか。かれら自身も創造された存在なのに。なぜ「創造者はいない」と言い切れるのだろうか?

弟子  創造者に対する責任から逃れようとしているのです。だから存在しない、と言うのです。

シュリーラ・プラブパーダ  創造者を無視することはできる、しかし「存在しない」とは言えないはずだ。創造者の権威を求めるか認めないかは私たちの勝手だが、「創造者はいない」とは言えない。たとえば、「俺たちは国に従いたくない」と言う悪人がたくさんいる。国を嫌うのは個人の勝手だが、政府はじっさいにある。ない、とは言えない。

弟子  宣伝をとおして物質主義の科学者が信望を集め、多くの人々に影響を与えるようになったのは、ここ数世代のあいだです。

シュリーラ・プラブパーダ  だから私たちはそういった悪辣な科学者たちに挑戦している。

弟子  あなた様が私たちに武器を授けてくださいました。本に書かれた超越的知識という武器です。

シュリーラ・プラブパーダ  ほんとうの科学的知識が欲しいのであれば、クリシュナ意識を受けいれなくてはならない。たくさんの人たちが物質的な科学者に騙されてきた。真理を真剣に求めている人ならこの知識を受けいれるはずだ。

弟子  科学者は「原子が万物の源だ」と言っています。

シュリーラ・プラブパーダ  私はそういうかれらに答える、「悪人たちよ。そもそも君たちが原子から作られたのではない――父親に作られたはずだ」。

弟子  かれらの説では、「根源、つまりすべては偶然に原子が発生して……

シュリーラ・プラブパーダ  根源! 自分がどこから来たのかさえ知らないのに、いったいなぜ根源の理論など口にできるのだろう? 蛇遣いの話がある。毒のない水蛇さえ捕まえられない男が、コブラを捕まえようとする。科学者の欠陥もこれと同じだね。かれらもちっぽけな生き物にすぎない。それでも大きなことを言う。これが現代社会の欠陥だ。たいした人間でもない、それでもでかいことを言ってみせる。毒のない蛇さえ捕まえられない蛇遣いが「コブラを捕まえてみせる」と豪語する。自分が父親と母親によって作られたこともわかっていないのに、創造の根源を知ろうとしている。そういった科学者や哲学者――かれらの仕事はただ神の存在を否定するだけ。悪魔の所業といわざるをえない。

弟子  でも、かれらは言っています、「科学革命の前は……」

シュリーラ・プラブパーダ  科学じゃない。どれも悪人の革命だ。科学者は私の質問にも答えられない。「君は父親に作られた。では根源の創造者がいると考えるべきではないか。まさか、私は空から落ちてきた、と言うわけじゃないないだろうね」

弟子  かれらの理論では、ヒトはサルから進化し、サルは別の生物から進化し、その根源が原子だと言うことです。

シュリーラ・プラブパーダ  (科学者に向けて)それはそれでけっこう。しかし、現実に話を戻そうじゃないか。君は父親に作られた――それは否定できない。同じように、私たちが見ているものすべて――車でも家でも――誰かに作られた。

弟子  では誰がその創造者を作ったのですか?

シュリーラ・プラブパーダ  それは次のポイントだ。少なくとも創造者がいるという点は認めなくてはならない。

弟子  創造のエネルギーを認めている科学者もいます。しかし、たった一人の創造者がすべてをなしたとは考えていません。

シュリーラ・プラブパーダ  それはもちろん違う。たとえばフォードが車を作っても、自分の手でその車を作り上げたわけじゃない。かれには資金がある――それがかれのエネルギーだ――そして車の設計技師や監督者に大金を払う。しかし窮極の創造者はフォードだね。すべての車を自分ひとりで作っているわけではないけれど、かれの資金や従業員が車を生産している。同じようにすべては神によって作られた。『バガヴァッド・ギーター』((第9章・第10節)の910節でクリシュナが言っている。

                  mayädhyakñeëa prakåtiù
                   süyate sa-caräcaram
                  hetunänena kaunteya
                    jagad viparivartate

「クンティーの子よ。わたしの力の1つであるこの物質自然界は、わたしの指示で動き、動く生物・動かない生物すべてを作りだしている。その法則のもと、この現象界は創造と破壊をはてしなくくり返している」

フォードのように、クリシュナには厖大なエネルギーと補助者がいる。ヴェーダ経典はparäsya çaktir vividhaiva çrüyate(パラーッシャ シャクティル ヴィヴィダハイヴァ シュルウーヤテー)。「神のさまざまなエネルギーが、すべてを自動的に機能させている」という意味だ。しかしそれでも、創造者が背後で監督していることに疑いはない。子どもには車がどうやって作られたかはわからないだろう、でも私たち大人は「人が作った」ということがわかる。すべては人物によって作られた。

弟子  では創造者の存在を認めないそう言う科学者は、なにも知らない子どもと同じですね。

シュリーラ・プラブパーダ  そのとおり。かれらには宇宙空間がある人物に作られたということも、水が人物によって作られたことも想像さえできない。科学者にできないからといって、それで「だれにもできない」とは言えない。私には車は作れない、でもほかの誰かができる。同じように私たちには全宇宙現象界がどれほど大きいのかわからないけれども、誰かが創造した。知性のない人がいるいっぽう、高い知性を持つ人もいる。じっさいにそういう人たちがいるのだから、その視点から見れば、神、すなわち創造者は窮極の知性を持ち、そしてその神が万物を作りだした、ということがわかる。

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